同世代


絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

下記ブクログ転載。

社会学ってよくわからん学問だなぁ、というのが感想。面白いけど難しい。とは言え、私古市さんの文体好きだから読む。普通に読み物として面白い。自分の学生時代を振り返ってみると「セカイ型」のコミュニティにいながら違和感を覚えて自家撞着を起こしていたような気がするので、内容は感覚的に非常に判りやすかった。もう一度学生生活送るならふつーの課外活動したい。自意識の固まりの中にはいられない、かな。もう。しかし、社会学のなんたるかが正直未だによくわからんのだけど、社会に対してどういう文脈を用いてどういうストーリー作るか、というのが一つテーマとしてあるような気がした。ような。社会学と呼ばれている本を読むのは好きなのですが、結局そこにもストーリーと文脈を見いだしているあたり、活字中毒なのだなぁ、と思う。

とは言え、同世代の著者とはやっぱり感覚も共有しやすいので、最近この人の本をよく読んでいる。上海という場所においてさえ、インターネットさえあれば本が買えてそして読んでしまうのだから、やっぱり私はどこにいっても私なのだ、とピースボートで外国に停泊しながらも船内のイベントに興じる参加者たちに自分を重ねながら読みました。

共著として名前が挙がっている本田由紀氏が言う「やりがいの搾取」についても思うところがあって、それは現在の新卒就職活動業界だったり、ピースボート乗船料割引のためにポスター貼りという仕組みが出来上がっていることの根底に横たわっているものだと私は思うのだけれど、結局、そうして何もかもパッケージ化、あるいはシステム化されていて、その中に取り込むための鍵だったりするんだよなぁ、と。やりがい、も夢も。耳障りの良い言葉なら何でも。でももっとやりたいことも夢も、抽象的な概念の中でしかないものではなく、もっと身体的に規定されたprimitiveなもののはずなのではないかなぁ、と思ってるのですよ最近。別に「搾取される体を装いながらその実、自分のやりたいことに邁進している」というのであればwin-winだからいいんじゃないかなと合理的な私は思うんだけど、私はそこまで意思が強くないので、そういう非常によくできたパッケージの職場では働けないんだよなぁ、と思う。それより自分がパッケージを作る立場で居た方が楽しいし、だから経営企画部で働きたかった(←この思いに自家撞着と肥大した自意識があると思った人は正解です)。そういう私も社会という仕組みの中で生きてる訳ですが、もうメタ的に考えればキリがないのでこの辺で。……ということを考えるのは楽しい。何の生産性もないけど笑。


こないだ東京に帰ったのは、大学の授業で就職活動やキャリアについて一社会人の立場からお話するお仕事をいただいたからなのですが、そこで話したのは結局、「パッケージ化された就職活動」の中で振り回されてしまった自分についてだったのでちょっとタイムリー!と思って。