私の信じるもの

日曜日、山に行く前に珍しくひとりで松屋に入った。朝ご飯をしっかりとろうと思って。一人で入る事にあまり躊躇はないので、快適にご飯を食べていたのだけれど、途中で、徹夜明けと思われる若者グループが入ってきた。男女7人くらい。そんなにそろってすわれるスペースはなく、私は彼らの間に挟まれてしまった。……とても、居心地が悪かった。

大声で話す声や、自分たちグループ以外をネタにしてけなす事や。そういうこと、もう中学校で置き去りにしてきたはずなのに。


私は、田舎の荒れた公立中学で育った。彼らのような人たちが権力を持ち、学校を席巻していた。警察がくることもあった。クラスの中で主導権を持つ生徒は彼らに従属し、従属しない者、かかわり合いにならないように生きている者に生存権はなかった。中には成績を保ちながらもうまく立ち回る生徒もいたけれど、私にはそんな器用さもなく。部活も部活で、女子特有の「誰かが標的になる」ゲームが蔓延していたおかげなのかどうなのか、9人いた部員のうち、最後まで部活を続けたのは4人だった(もちろん、やめました)。

……というくらい、私の中で辛かった過去ナンバー1で、でも同時に人間的に成長したなぁと思える過去ナンバー1なのだけど、忘れたい過去ナンバー1であることに変わりはなく。

同じ中学に通った友達は中学には戻りたくないと言う。別にわたしたちはいじめられた訳ではない。世の中にはもっと露骨な「いじめ」もあるだろう。それでも、のびのびと暮らせなかったあの時代に戻りたいとは思わない。中学の大多数の人間が進学する地元の高校に通った友達は、高校にも戻りたくないという。「いじめ」はないけど、とにかくいろんなことが面倒だったという。


ふと、そんな時代のことを思い出してしまった。


私はそういう生活から抜け出したくて、街の中の高校へ進学した。校区内のあらゆる中学で成績優秀だった人たちが集まる学校は、正直、世間的に言えば変わったたちもたくさんいたけど、彼らは迫害されることも、生存権を認められないようなこともなかった。仲良しグループはあったけど、グループ同士の縄張り争いもなかった。話す内容や、言葉が「難しい。わからない」と言われる事もなく、私は思ったままに話す事ができて、逆に自分の頭の弱さを痛感した。

そのとき初めて、ああ、中学は異常だったのだ、と思った。

中学のときは誰も信じられなかったし、信じなかった。性悪説で生きていた。高校になって、話が通じる人が増えて、人を信じても大丈夫なのかも、と思い始めた。それからは性善説で生きていた。だけど、そのときに思った。私がいま、表面的に性善説をもって生きられるのは、同じベースがあるからじゃないか、と。

高校からこっち、少なくとも話が通じない経験は少なく、表面的に性善説を持って生きてきた。日本各国、あるいは世界からいろんなバックグラウンドを持ち、性別も年齢も様々な人たちと一緒にいろんなことをさせていただけれど、多分そこには、世界的にほぼ共通の科学的な考察に基づく様々な学問がベースとしてあった。その学問を身につけた人たちとしか私は生きてこなかった*1。どこが多様性だ、と思うけれど、そうだった。

私は人を信じてきた、と思ったけれど、もしかして私が信じているものは、相手の人そのものじゃなく、もしかして学問や科学なのかもしれない、と思った。私は、ずっとそういうベースがない世界を拒絶していた。関わらないようにしていた。考えないようにしていた。

世の中全ての人の幸せを願うのが人類愛だとしたら、私には朝の彼らの幸せが何なのかわからない。世界が平和であればいい、と思うけれど、私の中の世界とは、価値観のベース(先述の学問のこと)を共有している範囲内なのか、範囲外でもむりやり啓蒙しようとしてるんじゃないかとか、そういうことまで考えてしまった。

正論から言えば分け隔てなく接することが正しいことなのだと思う。


でも多分、私には無理だ。正直、またあんな思いをしながら毎日過ごしたくない。逆に彼らを受け入れるような包容力もない。私が私の幸せと毎日の満足をたもちながら生きるには、考えないようにするしか今はない。それをまざまざと思った。

無意識にみないようにしていること、たくさんある。

私が見ないようにしている世界抜きで世界は廻らない。だから、自分の既得権益守りながら、例えば人類愛や夢を語ること、理想をかたることが私にはできないなーとも思う。

なんかこの問題については解決策も何もでないのですが、もやもやとして記しておきます。またそのうち解決できるようになるかもしれない。あるいは、自分なりの結論を見いだせるかもしれない。

*1:必ずしも大学進学がその前提ではない事を記しておく