長期出張中に思ったことつれづれ

茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩を思い出す。やーなんかひさびさにゆっくりはてなを巡回したり読み返してみたりしてたら、なんだか仕事ばかりしていて、「女子っぽさ」のかけらもなくなっていて、あーそりゃ恋愛も結婚も縁遠いわね…と客観的に思ってしまったのです。

よく言われるけど別に出世したいとかキャリアになりたいとかそういうのじゃない。ただ、働くこと(お金もらうこと)ってそれ相応の価値を出さないとダメだと考えてるのと、自分が関わるからには中途半端なクオリティにしたくないだけです。それに今まで社会から与えられるばかりで、何にも生み出していなくて、それはちょっと生きてる義務を果たしていない気が勝手にしているだけ。

こちらに来てみると、意外と日系企業が多くて、相場は高めだけど日系の製品も、サービスも手に入れようと思えば手に入る。私たちのような若者の間ではそうではないのかもしれないけど、まだまだ上の世代での日本ブランドは根強くて、「日式」とか、「日本人気」(ファミマのパンでよく見る。「いやそんなパン日本で売ってないから」っていうパンにも書いてる)とかそういう謳い文句がキャッチーに響く。それって先人たちの偉大な努力の上に成り立っているんだよなぁ…と。

今年の電機業界の決算で「もう日本のモノづくりは終わった」「日本はダメだ」という論調が目立つようになった。そりゃあ世界も変わるから、これからどうなるのかはわからないけど、やっぱりそういう過去の成果があったということは事実なんだと思いました。だからやみくもに技術信仰はしないけど、全否定もしない。

私もこちらでそういう未来に繋がる仕事をしたいと改めて思いました。

でも自分に能力がないことはわかってる。こないだついったでも流れてきたけど能力っていうものが先にあるんじゃなくて、結果の積み重ねで能力があるって言えるんだと思うのです。*1結果を何も残していない自分に能力があるとは言えないでしょう。凡人は、まず自分が勝負する市場を見極めて、んで、あとは愚直に努力するしかないんだろう、と思うのです。

ぼんやりとだけどやりたいこととか、目指すべき方向が徐々に本当に徐々にわかってきたので、ただやるのみ。

大学時代でわかったんだけど、私、ひどい怠け者で、ひとりの時間があっても、料理したり、インテリアに凝ったり、そういう趣味でアウトプット出すようなことしないんです。ほっとくと、読書とかインターネットとかそういう受動的なものばかりになってしまう。(友達と話したり飲んだりってのはまた別。ひとり時間の過ごし方の話)机に向かう勉強もダメだし。だから常にアウトプットを外界から求められる環境にいないと、どんどん内省的になって、自分の思考に囚われて抜け出せなくなるんだと分かった。

まぁそういうのもあって、考えて仕事できる環境に身を置くことが幸せなんだよなーと。経済的に自立もできるし。

だからまぁ仕事…というか成果につながることしかやってないので、「女子っぽさ」のかけらもなくなっちゃってるんだろうけど、あんまり後悔はしていない。

こういうことうだうだ語りたいなー。友達が遠いのはちょっとさみしい。

*1:私がそう思うようになったソースは悪夢の棲む家 (上) ゴースト・ハント (講談社X文庫―ホワイトハート)でのナルちゃんのセリフから